さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり
从天声人语里看来的句子,似懂非懂,隐约觉得风流。asahi的页面打开,顶头就是樱花粉白的花瓣。
前两天老爸非常风雅地打电话催俺出去看海棠花,说是熊猫环岛那边开得可漂亮了。
有花堪赏,只要心里没有事,干嘛不出去看呢。
再会就是明年了。
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附全文:
2009年4月12日(日)付
染め上げると言うにはあまりに淡い色を連ねて、桜前線の北上はきょうはどのあたりか。陽気に誘われて、せんだって山梨県の神代(じんだい)桜を訪ねた。日本三大桜と呼ばれる一本だ。樹齢2千年ともいうエドヒガンの古木は、ちょうど満開の枝を空に広げていた▼周囲が12メートルもある幹は黒い巨岩を思わせる。瘤(こぶ)だらけで洞(うろ)をなし、節くれだっている。その貫禄(かんろく)は、残雪の南アルプスに向かって一歩も引かない。異形の塊から清楚(せいそ)な花が乱れ咲く様は、どこか妖(あや)しげな空気さえ漂わせていた▼桜の花は万人に愛(め)でられるが、幹もまた捨てがたい。「桜の画家」で知られる中島千波さんに、「花を描くというより幹を描く」とうかがったことがある。桜の表情は、花よりも幹に真骨頂があるのだという▼やはり三大桜の一つに樹齢1500年という岐阜の淡墨(うすずみ)桜がある。中島さんは初めて見て幹に圧倒された。「古代人がそこにいるような畏敬(いけい)の念を感じた」そうだ。以来、歳月を重ねた一本桜の肖像画を描く気構えで桜と向き合ってきた▼〈さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり〉。小紙歌壇の選者馬場あき子さんの一首を思い出す。水流とは老樹のひそやかな鼓動だろうか。それとも、遠い過去から吸い上げる悠久の時の流れなのだろうか。いずれ、聞こうと心する耳にだけ響く音なのに違いない▼群生の桜は「見に行く」だが、有名でも無名でも一本桜には「会いに行く」と言うのがふさわしい。人、桜に会う。仲を取り持って、二度とはめぐらぬ今年の春がたけていく。
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